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INTERVIEW

「教科書通りでは通用しなかった」急成長SaaSの代表が語る、IT業界で求められるマインドセット

IT業界で活躍したい人であれば、特に伸びているSaaS領域を見ているでしょう。そのなかで企業を選ぶとき、最後はどんな軸で見るといいのでしょうか? そのヒントを探るべくGoodfind代表が、注目の急成長SaaS企業の経営者にインタビュー。日本のIT黎明期から荒波を越えてきたテクノロジー企業の変遷と、失敗から生まれた思想を紐解きながら、「IT業界で活躍する心得」と「成長IT企業を吟味する視点」を探ります。

SPONSORED BY HENNGE株式会社

話し手

小椋 一宏

小椋 一宏

HENNGE株式会社
代表取締役社長 兼 CTO

伊藤 豊

伊藤 豊

スローガン株式会社
創業者

SECTION 1/6

IT業界の黎明期、パソコンオタクの学生が起業した理由

左:HENNGE代表 小椋氏、右:Goodfind代表 伊藤

伊藤:HENNGE(へんげ)は、日本国内のSaaS領域で時価総額はトップ10に入り、日経などでも毎週のように取り上げられています。社員200人規模にして、いわゆるユニコーン企業(評価額10億ドル以上)を超える評価で、上場後も急成長を続けておられますね。

IT業界・SaaS領域では、知らない人はいないほど名の知れた存在ですが、学生の皆さんはあまり馴染みがないと思うので、簡単に会社紹介をお願いできますか?

小椋:HENNGEは「テクノロジーの解放 (Liberation of technology)」をVisionに掲げ、「テクノロジーの力をたくさんの人に届け、世の中を変えたい」という想いで、最先端の技術を取り入れやすい形で提供してきました。

現在の成長の中心は、2011年に立ち上げたBtoBのSaaS事業「HENNGE One」です。今まで業務システムの多くは会社内からしかアクセスできなかったのに対して、COVID-19の影響下でも求めらているリモートワークの実現には、どこからでもアクセス可能なクラウドサービス※1の利用が必要になります。

企業が今までのシステムからクラウドに安心して移行できるように、我々のサービスはクラウド利用をセキュリティ面から支えています。

※1 クラウドサービスとは:従来は企業が自社ネットワーク内でソフトウェアを管理・利用していたのに対し、クラウドサービスではプロバイダーがソフトウェアを管理し、利用者はネットワーク越しにソフトウェアにアクセスする。利用者はインターネットに繋がっている環境であれば、どこからでもソフトウェアを使えるため、リモートワークに適している。

伊藤:小椋さんの経歴を拝見するかぎり、一橋大学で経済学部に在籍していたとのことですが、当時は今ほど注目されていなかったITの領域で起業された点が気になります。学生起業された当時のことをお話いただけますか?

小椋: 起業の経緯を遡ると、私は小さい頃からプログラミングが好きで、中学生までは典型的なパソコンオタクでしたが、没頭するあまり全く女性にモテず……。そこで高校一年の時にPCを庭に埋めてパソコンを断ち、大学も情報系ではなく一橋の経済学部に進学しました。

ただ、PCの性能が劇的に向上していることを知り、大学入学後に再びパソコンを購入して触り始めると、自然とまたプログラミングに没頭していきました。そして、自分のスキルを活かそうと、ある研究所でプログラマとしてアルバイトを始めたことが転機になります。

1995年当時は、日本でWindows95が発売され、インターネットも到来し、社会に大きな変化が起きたタイミングでした。

所属していた研究所でも、組織内のPCをネットワークでつなぐことになり、たまたま私がインターネット接続業者の方との窓口になったのですが、業者の方が持ってくる見積もりは何百万、何千万円という高額なものでした。

しかし、実際の接続作業自体は私でもできる簡単なものだったのです。「私がやれば、10分の1の値段でできる」と思うと同時に、むしろ競争になったらデジタルネイティブな私たちの方が大企業よりも有利なはずと思い、起業を意識しました。

そこでホームページを立ち上げて仲間を募り、1996年に5人で起業しました。最初は請求書の発行の仕方もわからず苦労しましたが、楽しかったですね。

創業時の小椋社長 

伊藤:まさに日本のIT業界の黎明期ですね。ちなみに、最近マッキンゼーの日本支社長に就任した岩谷さんは、HENNGEの創業メンバーだそうですね?!

小椋:マンションの一室で創業した頃の仲間です。学生当時からコンサル風の物言いをするため「マッキンゼー岩谷」というあだ名で呼ばれていて(笑)。彼は外交的で営業なんかもできるタイプしたが、私は引きこもり気質でプログラミングばかりやっていたタイプです。

岩谷さんはその後、コンサルタントの道で日本を代表する存在となっていますが、私はHENNGEに残って25年近く経営してきました。

SECTION 2/6

二度の倒産危機。大失敗からの学びとは?

伊藤:25年間というと、IT業界の全てを見てきたと言っても過言ではないと思います。学生起業から上場までの長い間、着実に成長を積み重ねてきたのですね。

小椋: ずっと努力は重ねてきましたが、実はHENNGEは過去に二度潰れかけています。

小椋:一度目は、ITバブルが崩壊した2000年頃。Linuxというサーバーの管理ツールを販売していて、売り上げはうなぎのぼりでした。「このまま拡大できるぞ」と人員を増やした矢先、ITバブルが崩壊し売り上げが半分以下に。一気に経営危機に陥りました。

私は26歳でしたが、自分が誘ってきた人たちに「ごめん、会社が潰れるかもしれないから辞めてほしい」と言わなくてはならないことが本当に辛かったですね。泣きながら、みんなの前でリストラの発表をしたことを覚えています。

結果的に4割近くの従業員を解雇して何とか生き延びましたが、「リストラは二度とやってはいけない」と自分を戒めて、ビジネスモデルも見直しました。

伊藤:苦しい失敗を経験されたのですね。最初の危機の後は、どのような経営をされたんですか?

小椋:自社プロダクトの展開に加えて、不況の影響を受けにくい地方自治体向けのシステム・インテグレーションのビジネスなどにも参入し、バランスのいい着実なポートフォリオ経営に転換しました。

また、経営経験の乏しい自分の力不足をなんとかしようと、経営理論なども必死に学びました。組織の指揮命令系統を明確化し、反復可能な業務プロセスを整えるなど、組織運営にも教科書的なベストプラクティスを導入し、愚直に実行していきました。

それにも関わらず、今度は2008年のリーマンショックで窮地に陥ってしまったのです。一度目と同様に、マクロ環境の変化に対応しきれず売り上げが低下。結局2割の社員をリストラすることになり……。

一度目の失敗で、あんなに辛い思いをして心に固く誓ったはずなのに、また同じことをやってしまった。経営者として自分はなんて無能なんだろうと打ちのめされ、自分の不甲斐なさを痛感しましたね。

小椋:経営者としてのターニングポイントを挙げるならば、この時です。二度も同じ失敗を繰り返した果てにようやく、「変化の激しいIT業界では、事業を一つ立ち上げて、それを安定的に伸ばしていく経営スタイルなど通用しない」と学びました。

最初の危機の後に私が実践した「教科書通りの経営」は、安定的な外部環境で事業を行う伝統的な産業で積み上げられてきたナレッジであって、IT業界のように「数年に一度大変革が起こってほとんどの会社が滅びる」ことは、前提とされていなかったんです。

経営の教科書に載っているような経営理論は、変化の激しいIT業界に身を置く私たちが真似するべきものではない。IT業界では、不況や技術的な変化に対応できる組織をつくる必要がある。それが失敗からの一番の学びです。

SECTION 3/6

独自路線で切り拓いた道は「クラウド事業」と「海外メンバー採用」

伊藤:「教科書通りの経営では通用しない」という学びを、その後はどのように活かしていったのでしょうか?

小椋: 世の中で正解とされている経営手法は一旦忘れて、シンプルに、自分たちが実現したい「最先端のテクノロジーを、使いやすい形でお客さんに解放すること」に集中しようと思いました。

その後すぐ2011年に東日本大震災が起こり、クラウドサービス の領域にビジネスの軸足を移していくことになります。

大規模災害が起きると、当然ですが、ほとんどの社員はオフィスに来ることができません。従来のITシステムは、オフィスに来ないとアクセスできないので、震災時には日本の多くの企業で業務が止まってしまったんです。

一方でクラウドサービスであれば、社外にシステムが構築されているので、出社せずともインターネット経由で業務システムにアクセスできます。

ところが多くの企業では導入が進みませんでした。社外からアクセスできるクラウドでは、情報漏洩などセキュリティの課題を解決する必要があったからです。素晴らしい技術なのに、社会がクラウドを利用するにはいくつかの課題がある……。

そこで「クラウドこそ、私たちが解放するべき技術だ」と思い、クラウドセキュリティのプロダクトを開発し、まずは社内で使いながら改善を重ね、マーケットに出していきました。

伊藤:クラウドの事業を立ち上げた後は、どのように成長させてきたのですか?

小椋: 震災後はクラウドサービスを導入する企業がポツポツと出始め、私たちのサービスの売り上げも少しずつ成長していきました。しかし、クラウド事業が伸び始めた2013年頃になると、今度はサービスを開発する側の、エンジニア不足が大きな課題となりました。

そんなタイミングで、HENNGEに大きな影響を与える出来事が起きます。偶然、シンガポール国立大学でコンピュータサイエンスを専攻している学生から「日本の文化に興味があり、日本でのインターンを探している」と連絡がありました。深く考えずにインターンに来てもらったところ、驚くほど優秀だったんです。

調べてみると、どうやら日本で働きたい優秀なエンジニアは世界中にたくさんいて、「日本語が喋れなくても日本で働けて、ちゃんとお給料が稼げる環境を提供すれば、来てもらえるらしいぞ」ということがわかってきました。

SECTION 4/6

多様性からイノベーションの土壌ができ、変化に強い組織へ

伊藤:意外ですね。日本に住んでいると、優秀なエンジニアはアメリカに憧れているイメージがありますが。

小椋:実は日本人が思っている以上に、日本が誇るアニメなどの文化や、便利で安全な生活環境は、外国人には魅力的なんだそうです。しかし、彼らが日本で働こうとすると、日本語が障壁となって、なかなか就職先が見つからない。

それならばと思いきって、2013年から社内公用語を英語にする取り組みをはじめました。すると海外エンジニアの採用が上手く回り始め、現在では20%を超えるメンバーが外国籍です。宗教もバラバラで、結果的に多様性のある組織になってきました。※2

※2 関連記事では、多国籍な社員の入社動機や社内のカルチャーについてインタビューしています。

多国籍なメンバー(コロナ以前に撮影)

小椋:ただ、多様性のある組織のマネジメントはすごく大変なんですよね。

メンバーの多様性が高まると、それぞれの文化ごとに仕事の仕方や振る舞い方が異なるので、明示的にコミュニケーションを取る必要があります。コミュニケーション効率だけで考えると、多様性のある組織は正直なところ非効率です。

そして多国籍になればなるほど、組織はカオスになっていく。その様子を見ながら、ある時ふと気がつきました。

「このカオスな組織は、裏を返すと全員が新しい可能性を模索し続けていて、こっちの方が変化に強いんじゃないか」と。ずっと追い求めてきた「変化し続けられる組織の鍵は、多様性なんじゃないか」と思ったのです。

日本人だけの比較的同質なメンバーで組織が構成されていた頃は、違いに敏感で、みんな同じ方法で仕事をしようとして、結果的に「暗黙の了解」ができてしまっていました。

一方で組織に多様性があると、みんな違うのが当たり前なので、そもそも固定概念がありません。そうすると、誰かが違うことをやっていても気にならないので、結果として既存のオペレーション以外にも様々なチャレンジが生まれます。

このように、画一的な管理型の組織から「多様性をベースに挑戦を後押しする組織」に変化できたことが、組織としてのブレークスルーだと感じています。

伊藤:組織の多様性によって、具体的にどのようなチャレンジが生まれているのでしょうか?

小椋:一番わかりやすいチャレンジは、新規サービスの開発です。外国人社員の発案で「インスパイア祭り」という社内のピッチイベントが始まりました。これは社員がボトムアップで新規事業を提案する制度で、既存の枠組みでは形になりにくかったアイデアの事業化が狙いです。

実は二度目の倒産危機の少し前から、社内では「イノベーションの鈍化」が起きていて、新サービスの考案が上手くいっていない、という課題意識がありました。

今では既存の日常業務から離れて、異質で突拍子のないことを始められる土壌ができたことで、改善を飛び越えたイノベーションに結びついていくことを期待しています。

SECTION 5/6

知識集約型の「多様性モデル」の先駆けを目指す

伊藤:私は15年に渡って「人の可能性を引き出す」ことをテーマにスローガンという会社を経営してきたので、今のお話はとても共感します。

私が長年持っていた課題意識として、日本の伝統的な大企業の組織・文化は、まさに下の図でいう、左側の画一的で管理型の組織になっているな、と感じています。

伊藤:どうしたらもっと右側の多様性を受け入れる信頼型の組織が増えるのでしょうか? また、増えないとしたら何が課題なのでしょうか?

小椋:まだHENNGEも「この組織で大成功してます」と言うほどではなくて、「多様性」というすごいものを見つけてやっとここまで来ました、という状況です。

日本の大企業に真似してもらうためにも、まず自分たちがいい事例になりたいです。だから上場もして「ダイバーシティ推し」であると発信しています。

つまるところ、多くの日本企業が右側の組織モデルにならない理由は、過去の成功体験から抜け出せていないからだと思います。

上の図の左側は、高度経済成長期の日本の勝ちパターンだと思うんです。戦後の1950年~1970年代の日本は、人口ピラミッドが三角形で若い労働力が潤沢で、通貨がすごく弱い※3から海外から見ると低賃金でした。労働力超潤沢、低賃金、しかも労働力が毎年増えていく。

※3 (自国)通貨が弱い:他国通貨に比べて自国通貨の価値が低いこと。日本円が弱い状態を円安と言う($1が100円の状態と比べて、$1が150円の状態が円安)。自国通貨が弱い国が輸出を行うと、輸出相手国の通貨では安価な価格となり、輸出が増えやすい(100円の品を輸出する時に、$1が100円の場合は価格が$1となるが、$1が150円の場合は価格が$0.67となる)。

このような状況では、海外から何か輸入してきて、労働集約型の産業を使って価値を生み出し、それを海外に輸出して高い外貨を獲得するというモデルが、一番戦略的に正しかったんだと思います。

当時の条件下であれば、画一的な組織はすごく理にかなっていて、これが製造業に代表されるような、いわゆるエスタブリッシュメントと言われる、日本のナショナル企業をつくってきたエンジンだったのでしょう。

ただ、現在はこの外部環境が全て、逆に回転しているように思います。日本の通貨が強く※4、人口ピラミッドは逆三角形で労働力がどんどん減少していて、かつての労働集約的な戦略を取りようもない。

そうしたマクロ環境の変化を考えると、画一的なルールや組織をつくって、大量生産モデルで価値を生み出すのは、これから難しいと私は考えています。

※4 日本(自国)の通貨が強い:自国通貨が強い時は、自国通貨が弱い時と逆の作用が働く。自国通貨が強い時は、海外製品を安く輸入できる一方で、輸出を行うと相手国の通貨では割高になってしまう。

小椋:それにも関わらず「なぜ多くの日本企業は未だに画一的なモデルで動いているのか?」というと、今までこのパターンで勝ってきた人が多すぎて、いまさら変えられないし、新しい勝ちパターンがまだ見つかっていないんだと思います。

伊藤:なるほど。そもそも労働力が減少し、過去の労働集約的なビジネスの成功モデルはもう通用しないので、これからは知識集約型のモデルをつくっていかないといけないというお話でしたが、そういった意味で、知識集約型のSaaS業界が日本で急成長していることにも納得しました。

SECTION 6/6

過去に正解を求めず、大失敗しながら自分なりの方法論を見出そう

伊藤:いまお話いただいたようなマクロ環境の変化を、学生の皆さんはキャリア選択にどのように活かすことができるでしょうか?

小椋:学生時代に起業して、そのままずっと起業家として生きてきた私の立場からのメッセージにはなりますが。もし皆さんが「新規事業開発や、事業をグロースさせる立場につきたい」と思われているのであれば、「知識集約型のモデルにおける価値の生み出し方」を、自分なりに体得されるのがいいと思います。

今の時代はスタートアップの事業開発の有名な手法がネット上にもまとまっていて、手軽に知識を仕入れることができます。ただ、教科書通りに経営をして失敗してきた私としては、他人が導き出した知識よりも「自分の経験から導き出した経験値」の方が、価値があると思っています。

皆さんにはぜひ挑戦と失敗を重ねてもらって、ご自身の経験から「自分なりの方法論」を導き出して、自分のものにしてほしいですね。

HENNGEでは、幸いなことに今ビジネスが堅調なので、新規事業に投資する資金的精神的な余力があります。

小椋:なので、もし「新規事業開発をやりたいけど、不安定なスタートアップにファーストキャリアで飛び込むのは少し不安だな」と思う学生の方がいらしたら、ぜひ当社の多様なメンバーと一緒に、HENNGEのリソースを使い倒して、新しい事業作りにチャレンジしてほしいです。

最初の2回くらいは大失敗しながら、その経験から自分なりの学びを得てもらいたいですね!

伊藤:ありがとうございます。今回は、変化の荒波を乗り越えてきた小椋さんから「IT業界で活躍するためのマインドセット」について伺いました。

今では急成長SaaSのHENNGEも、最初は学生起業から始まり、教科書通りの経営が通用せずに倒産しかけた過去がありました。その「失敗からの学び」を経て、現在のイノベーションのエンジンである「多様性」にたどり着いたというのは、非常に興味深いお話でした。

小椋さんにお話いただいた「失敗から独自の学びを得られるかどうか」という観点は、IT業界を志望する皆さんにとっては、有益な学びとなったのではないでしょうか。

それと同時に、成長IT企業を吟味するときには、その組織のカルチャーの背景にある歴史や思想を探ってみてはいかがでしょうか。

HENNGEで活躍する多様なバックグラウンドを持つ若手社員やユニークな社内文化については、関連記事をお読みください。

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